| 閼伽出甕 論考集「新版・山窩 第二部 サンカの説明」(14) |
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[但し書き]
#8332/8332 日本史ボード ★タイトル (FHJ55492) 92/12/ 8 7:17 ( 96) 古代史】新版・山窩》サンカと警察官〔2〕 アコ(96行) ★内容 ‥‥ということで、さっそく日本の警察機構の誕生について調べようと思った のですが、適当な文献が見当たりません。警視庁が出した『警視庁史』という本 があるらしいのですが‥‥。しかたがないので、地元の資料で手をうつことにし ました。 『板橋警察署史 ――創立100年記念――』 警視庁板橋警察署 昭和57年10月16日発行 非売品 土地柄というのか、この『板橋警察署史』も『警視庁史』をかなり利用してい るようですが、残念ながら「非売品」でして、一般にはなかなか手に入り難い本 のようです。 気付かれた方もいらっしゃるかもしれませんが、このシリーズでは、書店で容 易に入手出来ない本は利用しないように心掛けています。そのために、三角寛の 著書のように現在絶版のものについては、それを引用している田中勝也氏の『サ ンカ研究』や佐治芳彦氏の『漂泊の民山窩の謎』から孫引きしているわけです。 なお、『サンカ研究』は新泉社版ではなく翡楊社版を利用していますが、どうも 頁に異同があるようです。この点については後ほどまとめてフォローしようと思 います。 では本題。江戸時代、江戸市中の警戒に当っていたのは自身番(じしんばん) という制度でした。 ==================================== 自身番には通常、家主二人、番人一人、店番二人の五人が詰めた。はじめは町 内の地主が交替で当たったが、いつともなく家主、店番(地借で表店住居の者か ら出る番人)らが交替で詰めるようになった。番人は町や宿で雇っているもので、 年一両か一両二分ぐらいの給金だった。この自身番役は、火事が発生すれば拍子 木をたたいてすぐ知らせる義務があったといわれ、また、自身番は同心や火付盗 賊改めが犯罪人の取調べ場所として使用された。 板橋の場合は、同心が常駐していたわけでもなく、軽い犯罪者に対しては名主 や組頭が説諭処分し、重罪者の場合は代官所に届けて引き渡したといわれる。 このほか、板橋には「番太」と呼ばれる者がいたが、現在の地下鉄板橋区役所 前駅を出たあたりにその詰所があったという。この番太は宿で雇った者で、土地 の事情に詳しく、同心や火付盗賊改めの手先きとなって犯人逮捕に当ったりし、 地方においては、いろいろな取締りに必要な存在であった。 『板橋警察署史』p143 ==================================== ※「宿」は「宿場」のこと「宿屋」にあらず。 ここで問題にしたいのは「番太」。これについて柳田国男がどのように書いて いるか見てみましょう。 ==================================== ノヤという部落あり。サンカと同じく川魚を捕るを専業とする賎民(せんみん) なれども移住することなし。長良川の岸にも、また三条野の大池の畔(くろ)に も住み、後者はやや大なる部落なりという。ノヤは野間(のあい)かと思わる。 池番として定住を許さるるか。番太(ばんた)なども普通に漁業は上手なり。 ちくま文庫版『柳田國男全集3』p234(『北国紀行』「美濃越前往復」) ==================================== ※「美濃越前往復」明治44年7月7日(金)条 ※以下は、全てちくま文庫版『柳田國男全集4』所収の「所謂特殊部落ノ種類」 による。 ○「サンカ」ヲ一ニ川原乞食ト云ウハ川原ニ小屋掛セシニ基クカト思ワル。備後 双三(フタミ)郡三良阪村ニハ番太(バンタ)ト云ウ階級ニ属スル十数戸ノ部 落川原ニ住シ竹ニテ小屋ヲ造(ツク)ル。川原ノ石ハ此ノ徒ノ領スル所ニシテ、 村ノ農家ハ年々水田ノ水口ニ置クベキ石ヲ採取スル対価トシテ彼等ニ少分ノ穀 物ヲ払ウト云エリ。(p491) ○茶筅ハ又多クハ所謂番太ノ任務ヲ為ス、即チ牢屋刑場ノ番人、変死人ノ取片付、 葬場墓穴ノ世話、道路ノ掃除、山野溜池ノ番ヲ為ス。(p496) ○ 又村々ニ番太ト称スル一種ノ民アリ。其ノ中ニハ鉢屋、茶筅ノ右ノ如ク転業 セシモアレド、単純ニ番太トシテ来住セシ者モ多シ。此ノ類ハ此ノ徒ノ土着ノ 最新ノ形式ナリ。其ノ始メヲ考ウルニ、別ニ番太ヲ募集スト云ウ広告ノ手段ア ルニ非ズ。唯(タダ)年々村ハズレニ来テ小屋ヲ掛クル非人ノ中ニ、ドウヤラ 実体ラシキ爺アリテ顔馴染(ナジミ)ト為リ、然ラバ永クソコニ住ミテ野荒シ 盗伐等ノ番ヲ為スベシ、其ノ地ハ無代ニテ作リ又年々毎戸二合三合ノ米麦ヲ遣 (ツカ)ワサンナドト約束ス。村ニ由リテハ此ノ外ニ三昧場(サンマイバ)ニ 近クシテ人ノ好マザル空地ナドヲ与エ、穴掘リ、湯潅(ユカン)、火葬ノ役、 行倒(ユキダオレ)人ノ始末ノ如キ凡(オヨ)ソ村ノ者ガ夫役(ブヤク)ニテ 引キ受ケ難キ事務ヲ掌(ツカサド)ラシム。此ノ二者相兼ヌルアリ又併存スル アリ。後ノ場合ニハ番太ト謂ワズ「オンボウ」ト謂ウ。即チ御坊ニシテ例ノ「 シュク」ナドヲ何々法師ト云ウト同ジカルベシ。此等(コレラ)ノ職業ハ如何 (イカ)ニモ安全ナル保障アル土着ナレドモ、一村ニ二戸以上ヲ要トセズ。部 落トシテハ昔ヨリ殆ト発達ノ見込ミナカリシ者ナリ。而モ地方警察ノ制具(ソ ナ)ワリテハ番太ハ不要トナリタレバ、明治以後再ビ此ノ者ノ引上ゲ去リ葬式 ノ節ナド村ノ者ノ飛(トン)ダ不自由ヲスル例往々アリ。其ノ以前ニモ双方色々 ノ都合ニテ屡々(シバシバ)村ヲ立チ退クコトアリ、要スルニ完全ナル土着ニ テハ非ザリシナリ。(p496) ○番太ヲ置ク必要ハ寧(ムシ)ロ此(コレ)ガ為ニシテ、恰(アタカ)モ盗賊ノ 一人ヲ懐柔シテ眼明(メアカ)シト為スト一様ナリ。(p497) ※目明し(めあかし)・岡っ引(おかっぴき)とは、同心(どうしん)が情報集 めや内偵のために、私的に雇っていた犯罪組織関係者のこと。 ちなみに、既に「サンカと弾左衛門〔1〕」(#8284)でも紹介したよう に、弾家に伝わる文書には、弾左衛門の支配下にあるとされた職業の中に渡守・ 山守・関守といった番人も含まれていました。そして、その文書は幕府によって 公認されていました。 次回は、「サンカと警察官〔3〕」 FHJ55492 アコ