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閼伽出甕 論考集「翡翠と沼河比売」(16)

 

[但し書き]

#613/613 日本史ボード
★タイトル (FHJ55492)  94/ 6/ 9  11:15  ( 51)
古代史】RE:ヒスイと安曇族           アコ(51行)
★内容
 ご旅行の準備にお忙しいパームさんが、このMSGを読める状況にあるかどう
かは分かりませんが、少々RESしておきまする。(^_^)

 安曇族と翡翠(ひすい)は、パームさんのおっしゃるように、直接の結び付き
は薄いようです。なぜなら、翡翠が産出するのは姫川でも下流域で、安曇族がい
る中流域ではないからです。

 では、なぜ安曇族は、わざわざ内陸に移り住んだのか? パームさんのご紹介
によると、6世紀頃、ヤマト政権の命により河内の安曇族が東山道を経由して入
植させられたという説があるそうですが、私はそれを採用しないことにします。
(^_^)

 というのも、この説は、私の「東国中心史観」とは相容れない「ヤマト中心史
観」に基づくものだからです。(ハハハ)

 繰り返しになりますが、では、なぜ安曇族は、わざわざ内陸に移り住んだのか?
真弓常忠氏は『古代の鉄と神々』の中で、こんなことを書かれています。

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 海人族は水穂耕作を推し進めるために、鉄を求めて海岸より内陸へと河川に沿っ
てさかのぼっていった。そして鉄のある地に住みついて自ら製鉄を行い、かつ水
穂耕作に従事したのである。稲は水中の鉄分を吸収して太るとも植物学の立場か
らの教示も得た。(p104)
========================================================================
※これは一般論として述べていることで、特に安曇族と信州の関係を示すもので
 はない。

 さらに、谷川健一氏は『青銅の神の足跡』(第三章 海人族系譜/鉄器による
開墾を投影する伝説)の中で、信州に残る伝説には安曇族が鉄器を用いてその地
を開墾した歴史を反映しているものがあると書かれています。

 私も両氏が唱えている説は、可能性が高いと思います。が、この開墾は安曇族
が安曇族の意思で安曇族のために行なったものでしょう。つまり、《ヤマトとは
無関係》ということ。ここが、「ヤマト中心史観」とは異なるところなのネ。

 それはそうとして、穂高神社の「御船祭り」(脚注1)や「塩の道」を考えると、姫川を
遡って内陸に入った海人集団を想定しないと、解決できない問題も少なくないよ
うです。

 そこで、沼河比売への文献史学的アプローチから、より民俗学的なアプローチ
へ移っていこうかと考えています(なにぶん史料が少ないもので‥‥)。民間伝
承から、沼河比売の勢力圏などが分かってくれば、安曇族との関係も、もう少し
はっきりするのではないでしょうか。

 あっ、そうそう。ちょっと思い出したのですが、映画『ラストエンペラー』で
死んだ人の口の中に赤い玉を詰め込むシーンがあったと思うのですが(あるいは
映画『西太后』だったかも)、中国皇帝と赤い玉には何か関係があるのでしょう
かねえ。それに、龍が握っている玉って、何色? ちなみに、ドラゴンボールは
赤くはなかったけど‥‥。(^_^)

                        FHJ55492  アコ


脚注1:「御船祭り」については、「御船祭り」を参照    のこと。    →(本文)


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2002.10.07 / 2002.10.10