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#610/610 日本史ボード ★タイトル (FHJ55492) 94/ 6/ 8 6:59 ( 76) 古代史】安曇》沼河比売と黒姫・続 アコ(76行) ★内容 話題がドンドン本筋から外れていきますが、まずは、住吉についての「一般常 識」から。 ======================================================================== すみよし【住吉】 (1)大阪市南部の住吉区から堺市北部にまたがる地名。仁徳天皇時代、海上の守 護神住吉神(スミノエノカミ)を勧請して、墨江また住吉と書き、「すみのえ」と称した が、平安時代に「すみよし」の訓みが生じた。住吉神社の所在地。(歌枕) (2)山田流箏曲の一。山田検校作曲。住吉神社参拝を主題としたもの。 すみよし‐じんじゃ【住吉神社】 大阪市住吉区住吉町にある元官幣大社。表筒男命(ウワヅツノオノミコト)・中筒男命・ 底筒男命と神功皇后とを祀る。二十二社の一。摂津国一の宮。今は住吉大社と 称。同名の神社は、下関市楠乃(長門国一の宮)や福岡市博多区住吉(筑前国一の 宮)など各地にある。 すみのえ‐の‐かみ【住吉神・墨江神】 大阪の住吉(スミヨシ)神社の祭神である表筒男命(ウワヅツノオノミコト)・中筒男命(ナカヅツノ オノミコト)・底筒男命(ソコヅツノオノミコト)の三神。伊弉諾尊(イザナギノミコト)が筑紫の檍原(ア ハキハラ)で禊(ミソギ)をした時に生れたという。航海の神、また和歌の神とされる。 すみよしのかみ。 〔EB『広辞苑』第四版〕 ======================================================================== さて、「住吉仲皇子の叛乱」の発端として登場する《羽田矢代宿禰が女、黒媛》 ですが、『新撰姓氏録』河内国、皇別、道守朝臣条に《波多朝臣同祖。武内宿禰 男八多八代宿禰之後也。‥‥》とあり、羽田矢代宿禰=八多八代宿禰でしょうか ら、黒媛も武内宿禰の後裔ということになります。つまり、由緒ある家柄のお嬢 様ということネ。しかし、「武内宿禰」なんて謎だらけですから、これ以上追い かけるのはムリか‥‥。 しかし、どうにかしてこの《黒媛》が海人である証拠を見つけ、さらに、高志 の《黒姫》と結び付けねば‥‥。(←オイオイ、先に結論を用意するのはインチ キ臭いゾ!) とりあえず、《黒媛》という名の由来を考えてみることにしましょう。新潟県 の民間伝承では、「色黒だったから」というのがありますが、それ以外は見当た りません。そこで、ポリネシアかミクロネシア系の色黒な女性だったのではない かとも考えたのですが、今一つピンときません。 そこで、こんなことを考えてみました。 前回紹介した話の(12)で > (12)阿曇連浜子は捕えられた1ものの、死罪は免れ、墨刑に処せられた。当時の人々 > は、その入れ墨を「阿曇目」と呼んだ。 と書きました。これは、安曇族が目に入れ墨をしていることの、ヤマト側からの 起源譚なのですが、『魏志倭人伝』には、倭人の男子は皆、黥面文身(げいめん ぶんしん;顔や体に入れ墨をすること)で、出身地や身分によって、その位置や 大きさが異なっていたとあります。その風俗・習慣から、海人または海人ベース と思われる倭人の特徴の1つが黥面文身だったわけです。 『魏志倭人伝』には黥面文身は男子のみのように書かれていますが、現在でも 沖縄のお年寄りは女性でも手の甲に入れ墨をされている方がいらっしゃいますか ら、男子に限定する必要はないでしょう。つまり、《黒媛》とは顔に入れ墨を施 した女性のことだったのではないでしょうか。そして、顔への入れ墨が許された 女性は高貴な方に限られていたために、《黒媛》と呼ばれていたのでは。 なお、$0573 「古代史】安曇》沼河比売と海神」では、《黒姫は沼河比売の諡 (おくりな)》としましたが、入れ墨と考えたほうが海人らしいので、ここから は「入れ墨」説を採用します。(^_^;) さらに深読みすれば、江戸時代の御歯黒のように、結婚すると顔に入れ墨をし たのかもしれませんが、『記紀』によれば、実際に妃に成らなかった女性も《黒 媛》と書かれています。天皇が既婚の海人女性を妃にした可能性もありますが、 はっきりしたことはわかりません。 ======================================================================== お‐はぐろ【御歯黒・鉄漿】 (女房詞) 歯を黒く染めること。鉄片を茶の汁または酢の中に浸して酸化させた 褐色・悪臭の液(かね)に、付子(フシ)の粉をつけて歯につける。古く上流婦人の 間に起り、白河院頃から公卿など男子も行い、のち民間にも流行して、室町時 代には女子九歳の頃これを成年の印とした。江戸時代には結婚した婦人はすべ て行なった。かねつけ。はぐろめ。日葡「ヲハグロスル」。「―始」 〔EB『広辞苑』第四版〕 ======================================================================== さらに続きます。 FHJ55492 アコ |
2002.10.07 / 2002.10.09