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#608/608 日本史ボード ★タイトル (FHJ55492) 94/ 6/ 7 16:22 ( 77) 古代史】安曇》沼河比売と黒姫 アコ(77行) ★内容 調査の進捗の関係で話が飛び飛びになりますが、今回は沼河比売はいったい何 族の海人とされていたのか考えてみたいと思います。(もしかすると、結論は出 ないかもしれませんが‥‥(^_^;)) $0573 「古代史】安曇》沼河比売と海神」で、履中紀に登場する《羽田矢代宿 禰が女、黒媛》を沼河比売とする伝承が新潟県の柏崎市に残っていると紹介しま した。が、これは『日本書紀』をもとに生まれた地元解釈で、大昔からの伝承で はないでしょう。 で、履中紀に書かれているこの《黒媛》の話には、実に興味深い人物が登場し ていますので、その内容を紹介しておこうと思います。なお、かなり長い話なの で、要点のみ箇条書きにしますが、『日本書紀』をお持ちの方は原文にも当たっ てみて下さい。(仁徳紀&履中紀) (1)仁徳天皇[16代] ‖_________去来穂別(いざほわけ;履中天皇[17代]) ‖ | 磐之姫命 |_住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ) (葛城襲津彦の娘) | |_瑞歯別(みつはわけ;反正天皇[18代]) | |_雄朝津間稚子宿禰 (おあさづまわくごのすくね;允恭天皇[19代]) 〔第2妃〕 仁徳天皇 ‖_________大草香皇子(おおくさのみこ) ‖ | 日向髪長媛 |_幡梭皇女(はたびのひめみこ) (諸県君牛諸井の娘) (2)仁徳天皇崩御後、去来穂別が、まだ帝位につかれていない時、羽田矢代宿禰 の娘である黒媛を妃に迎えることになった。 (3)住吉仲は、去来穂別と偽って黒媛を犯してしまうが、置き忘れた鈴がもとで、 そのことを去来穂別に知られてしまう。 (4)大事になることを恐れた住吉仲は、去来穂別暗殺を企て、去来穂別のいる難 波高津宮を包囲し、火を放った。 (5)平群木菟宿禰・物部大前宿禰・阿知使主(漢直の祖)が、眠っている去来穂 別を救出。 (6)去来穂別は、河内国の埴生坂で目を覚ました。このとき、去来穂別たちを追 跡している住吉仲の手の者には、淡路の阿曇連浜子の部下もいた。 (7)倭直吾子篭は住吉仲と親しかったが、去来穂別を欺こうとして逆に殺されそ うになると、妹の日野媛を奉って許しを願った。これにより、倭直らが采女 を奉るようになった。 (8)去来穂別は、石上の振神宮に入った。 (9)去来穂別は、弟の瑞歯別に住吉仲を殺すように命じた。 (10)瑞歯別は、木菟宿禰を伴い、住吉仲のいる難波へ向う。 (11)瑞歯別は、住吉仲の近くに仕えている刺領巾(さしひれ)という隼人に、住 吉仲を殺させた。その後、木菟宿禰は、刺領巾を殺した。 (12)阿曇連浜子は捕えられた1ものの、死罪は免れ、墨刑に処せられた。当時の人々 は、その入れ墨を「阿曇目」と呼んだ。 どこまでが事実なのかはわかりませんが、結果として、仁徳天皇と磐之姫命の 間に生まれた4人の息子の内、住吉仲皇子だけが、天皇になれなかったわけです。 ちなみに、この住吉仲皇子の叛乱の話は『古事記』にも書かれていますが、その 発端を婚約者黒媛が犯されたこととはしていません。 ところで、この話の中で、住吉仲皇子側に付いたのは、阿曇連浜子と倭直吾子 篭とされています。阿曇連は住吉大神を祭っているという話が、神代紀(第五段、 一書第六)にあり、住吉仲皇子の名からも両者の親密な関係が想像されます。 また、倭直は神武即位前紀で筑紫国の菟狭(うさ)に神武天皇を導いた海人珍 彦(うずひこ=神知津彦、椎根津彦)の末裔です(「正倉院」$0939 参照)。 つまり、皆、海人またはその血を引く人物だったわけです。 それに対し、去来穂別がいた「石上の振神宮」とは、石上神宮(いそのかみじ んぐう)のこと。ここは、垂仁紀39年条によれば、物部氏によって祭られてい たとあります。物部氏は天神・饒速日命(にぎはやひのみこと)の末裔、つまり、 「天神族」です。 ということは、住吉仲皇子は去来穂別ら他の兄弟とは、血の繋がりがなかった かもしれませんね。実は、仁徳天皇の真の後継者は、住吉仲皇子(第2皇子!) で、去来穂別グループは、彼を殺すことでその地位を奪った。そして、そのこと を正当化するために、「住吉仲皇子の叛乱」をデッチ上げたというのが事の真相 かも。 長くなったので続きます。 FHJ55492 アコ |
2002.10.07 / 2002.10.09