[Japanese KANJI System(Shift-JIS) and Stylesheet]

閼伽出甕 論考集「翡翠と沼河比売」(11)

 

[但し書き]

#593/593 日本史ボード
★タイトル (FHJ55492)  94/ 6/ 5   8:18  ( 74)
古代史】安曇》建御名方神の諏方入り      アコ(74行)
★内容
 $0550 「古代史】安曇》沼河比売と建御名方神」で紹介したように、『広辞苑』
第四版は建御名方神を《武神または農業神》としていますが、「建」から武神で
あることは想像できるものの、この神名からは、農業神というイメージは生まれ
てきません。

 そこでまず、建御名方神のイメージがどのように変化したのか考えてみること
にしました。といっても、諏訪の図書館へでも行けば簡単に分かることを、手元
の史資料にのみ頼っての調査ですから、どの程度の意味があるか疑問ではありま
すが‥‥。(オイオイ)

 まず、『古事記』の序文を信じて、その成立を和銅5年( 712)とすると、その
時点では「建御名方神」でした。また、930年代以前には成立していたと思わ
れる『先代旧事本紀』も「建御名方神」としています。

 ところが、$0560 「古代史】安曇》宗像族と安曇族」でも紹介したように、
『延喜式』「神名帳」には南方刀美(みなかたとみ)神社とあり、これは「御名
方富」で、武神というよりは農業神のイメージです。また、同様に水内郡には、
健御名方富命彦神別神社があったようですから、これは武神&農業神&男神&分
家のイメージ。

 『延喜式』自体の完成は、延長5年( 927)ですが、内容的にはそれ以前に成立
した『弘仁式』『貞観式』を引き継いでおり、おおざっぱには『大宝律令』が完
成した大宝3年( 701)以降のある時点での認識と考えられています。ただし、問
題なのは、その《ある時点》がいつなのかを決めることが難しい点です。

 そこで、さらに調べてみると、大同元年( 806)の「牒」である『新抄格勅符抄』
(新訂増補国史大系)には、建御名方富命神は信濃国に7戸の封戸があったとあ
ります。この時点では「建」と「富」がありますから、武神&農業神のイメージ。

 ということで、《お噺し》を作ってしまうと、まず、本来は御名方神という名
の神を信奉する集団が、武力をもって諏方(すわ)に入り込んだ。そして、その
地で武神として建御名方神を祭った。たぶん、後の諏訪大神の武神としての基本
イメージはこの時に生まれたのでしょう。

 その後、近隣との緊張関係が解けるとともに、武神よりも農業神として祭られ
るようになり、御名方富神となった。しかし、農業生産性の向上による人工増加
から、さらに広い領土が必要になる。そして、戦の始まりとともに建御名方富命
神を祭るようになり、新たに奪い取った領地でも健御名方富命神を祭った(健御
名方富命彦神別神社)とか。

 さて、$0550 「古代史】安曇》沼河比売と建御名方神」では、《建御名方神は
もともと諏訪湖あたりの神であったと考えるほうが自然》と書きましたが、その
後の調査で、地元には建御名方神が諏方入りする以前にも、その地に神がいたと
いう伝承が残っていました。

 では、『古代の鉄と神々』(真弓常忠著)から『諏訪大明神絵詞』の該当部分
とその解説を引用します。(原典未チェック)

========================================================================
 尊神垂跡の昔 洩矢の悪賊神居をさまたげんとせし時 洩矢は鉄輪を持してあ
 らそひ、明神は藤の枝を取りて是を伏し給ふ。(祭、第四、六月晦日条)

 右の尊神または明神とは祭神タケミナカタの神で、洩矢とは神長守矢氏の祖神、
洩矢神で、このあらそいで洩矢神は敗れ、以後諏訪社最高の神主大祝(おおほり)
はタケミナカタ神の後裔を称する神(じん)氏が継ぎ、洩矢神の後裔守矢氏は大
祝に仕える五官(神長・祢宜・権祝・擬祝・副祝)の筆頭神長(神長官ともいう)
を継承した。(p77)
========================================================================

 真弓氏によると、この伝承は、最新の製鉄技術を持った武甕槌命(たけみかず
ちのみこと)によって出雲を追われた建御名方神が、より旧式な製鉄技術を持つ
洩矢神を倒して、諏方に入ったことを表わしているとのこと。(真弓氏は、建御
名方神の諏方入りを6世紀以降としている。)

 そして、この中で登場する「鉄輪」とは、守矢氏が用いる祭具の「鉄鐸」のこ
とで、守矢氏が沼沢や湿原に生成される褐鉄鉱をもとに原始的な製鉄を行なって
いたことを表わしているとしています。それに対して「藤の枝」は、鉄穴流しに
よる砂鉄採取に用いる藤の枝製の「筵」(むしろ)のことで、より高度な製鉄技
術を表わしているとか。

 ちなみに、「鉄穴流し」(かんなながし)とは、$0452 「民俗学】ネコ」で紹
介した禰古流し(ねこながし)と同様の比重選鉱法のようです。

                        FHJ55492  アコ


[目次]

2002.10.07 / 2002.10.09