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閼伽出甕 論考集「翡翠と沼河比売」(7)

 

[但し書き]

#573/573 日本史ボード
★タイトル (FHJ55492)  94/ 6/ 1   7: 1  ( 60)
古代史】安曇》沼河比売と海神         アコ(60行)
★内容
 調べながら書いているために、論点がなかなか定まりませんが、沼河比売につ
いても今一つイメージが固定しません。つまり、私が探している海人としてのイ
メージが、あまりにも希薄なのです。

 たとえば、志賀剛氏の『式内社の研究 第八巻 北陸道』からの曾孫引きにな
りますが、『越後風土記節解』という本では、「神名帳」にある奴奈川神社の祭
神を

 奴奈川彦命
  ‖____奴奈川姫命
  ‖
 黒媛命

の3神だとしているそうです。私が調べた範囲での、地元の民間伝承によると、
黒姫と沼河比売の関係を母娘とするものと、同一神物とするものがありました
(他の関係は無い)。要するに「沼河比売」という名は世襲であり、母親の沼河
比売が死んだ時点で娘が沼河比売を名乗ったのでしょう。そして、母親の諡(お
くりな)が「黒姫」だったのではないでしょうか。(脚注)なお、地元には有名な黒姫山
があり、これが日本海航路の目印になったとも考えられますが、はっきりしたこ
とはわかりません。

 それと余談になりますが、仁徳記(『古事記』)に《吉備の海部直の女、名は
黒日売(くろひめ)》が登場し、履中記には履中天皇の妃《葦田宿禰の女、名は
黒比売命》が登場します。

 また、履中紀(『日本書紀』)には《羽田矢代宿禰が女、黒媛》(即位前紀)、
《葦田宿禰が女、黒媛》(元年7月4日条)とあり、『古事記』と同様に後者の
黒媛が履中天皇の妃となっています。ちなみに、新潟県の柏崎市には、前者の黒
媛を沼河比売とする伝承が残っています。

 話を沼河比売の系譜に戻します。

 ちょっと気になるのは、上述の系譜が、$560「古代史】安曇》宗像族と安曇族」
でも紹介した『出雲国風土記』嶋根郡美保郷条のものと一致していないことです。

 そこで、『出雲国風土記』で沼河比売の祖父・父とされる神物について、さら
に考えてみることにしました。

 意支都久辰為命____俾都久辰為命____奴奈宜波比売命
 (おきつくしゐのみこと)(へつくしゐのみこと)(ぬながはひめのみこと)

 まず、岩波・日本古典文学大系『風土記』頭注は、《クシヰはクシビ(霊)の
音訛か。遠(おきつ)近(へつ)に分けて父子の二神の名としたもの。》(p127)
と解釈しています。しかし、これは、該当する神物が実在していたわけではない
という前提での解釈ですから、採用するわけにはいきません。

 次に、門脇禎二氏は『古代翡翠道の謎』(森浩一編)で、上記頭注の解釈に加
え、読み方の区切りを変えて、《「ツクシヰ」とすると「ヰ」は接尾語なので、
コシ(越)の海とツクシ(筑紫)の海とかかわらせているかもしれませんが、そ
れを裏付ける史料がなかなか見つかりません。》(p22) と興味深い解釈を説かれ
ています。

 さらに、門脇氏は、《少なくともヌナカワヒメの祖父神・父神の名は類型的な
「オキ」と「ヘ」を付している以上、明らかに海辺の神であることまではわかる
でしょう。》《こうしてみると、ヌナカワヒメは海神の娘、というかたちで意識
されていたということが分かってきます。》(ともに同書 p22)と書かれています。

 ということで、やっと沼河比売と海神がつながりました。(^_^)

                        FHJ55492  アコ


脚注:この「黒姫=諡」説は、以下で破棄されることになる。    古代史】安曇》沼河比売と黒姫・続       アコ(76行)    →(本文)


[目次]

2002.10.07 / 2002.10.09


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