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#550/550 日本史ボード ★タイトル (FHJ55492) 94/ 5/28 7:36 ( 63) 古代史】安曇》沼河比売と建御名方神 アコ(63行) ★内容 まずは、前回($0542 古代史】安曇》翡翠の川と綏靖天皇)の補足から。日本 でも翡翠(ひすい)が産出することが分かったのは昭和16年(1941)と書きまし たが、これは歴史学・考古学界での話で、鉱物学界では昭和14年(1939)に東北 帝大の河野義禮氏が『岩石鉱物鉱床学』という雑誌に発表されたのが最初だそう です(翡翠の発見自体はその前年)。 では、本題に入ります。 「渟名川」が姫川のことであるかどうかは不明なようですが、この姫川のそば には黒姫山があるように、この地には有力な姫がいたことが想像されます。 『古事記』上巻に八千矛神(大国主神の別名とされる)が、高志国(こしのく に=越国)の沼河比売(ぬなかはひめ)に求婚する話が書かれています。かいつ まんでお話すると、八千矛神がわざわざ高志国に出向いて、沼河比売の家の前で 求婚の歌をうたうのですが、沼河比売は家から出てくるどころか、戸も開けずに 歌を返し、結婚を拒みます。結局、その晩は会うことも出来なかったのですが、 翌晩になりやっと結婚することが出来たとか。しかし、その後この沼河比売がど うなったのか1は書かれていません。(この話は『日本書紀』には書かれていない) ところで、『古事記』上巻にある大国主神の国譲りで、大国主神の息子とされ る八重事代主神と建御名方神が重要な役割を演じています。が、建御名方神につ いてはその母親が明記されていません。そして、建御名方神が、いわゆる「天孫 族」に追い詰められて逃げたのが、「科野国の州羽の海」、つまり、信濃国の諏 訪湖とされているわけです。 ======================================================================== たけみなかた‐の‐かみ【建御名方神】 日本神話で大国主命の子。武勇に勝れ、国譲りの交渉を拒み、武甕槌命(タケミカズ チノミコト)に抗して敗れ、信濃国の諏訪に退き、服従を誓った。諏訪神社上社はこ の神を祀る。武神または農業神として尊崇。 〔EB『広辞苑』第四版〕 ======================================================================== ではなぜ諏訪湖へ逃げたのでしょうか? 『先代旧事本紀』巻第四、地祗本紀 に大己貴神(大国主神の別名とされる)の子供181人が列挙されているのです が、その中にこんな記述があります。(原漢文。アコ、下す) 次に高志の沼河姫を娶りて一男を生む。 児(みこ)、建御名方神。 信濃国諏方郡諏方神社に坐す。 つまり、 大国主神(出雲) ‖_______建御名方神(科野) ‖ 沼河比売(高志) という関係になるわけです。もちろんこれは、実際の血縁関係ではなく、政治的 なつながりを表わしているものでしょう。 そして、『古事記』の書き振りでは、建御名方神は大国主神等とともに出雲に いたが国譲りを迫る「天孫族」から逃れるために諏訪湖へ移ったと読めるのです が、実はそうではなくて、建御名方神はもともと諏訪湖あたりの神であったと考 えるほうが自然なのではないでしょうか。 そこで、注目したいのは、建御名方神が、内陸に住んでいる(=祭られている) 点です。《海人は鉱石を求め、川を遡って内陸に移り住んだ》というのが、この 「古代史】安曇》」シリーズの大本のテーマですから、それに従って考えてみま しょう。建御名方神は建・御名方・神ですから、御名方(みなかた)が本来の名 と思われます。宗像(むなかた)によく似ていますねえ。(^_^) 宗像族は、もち ろん、海人です。 FHJ55492 アコ |
2002.10.07 / 2002.10.09