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閼伽出甕 論考集「翡翠と沼河比売」(2)

 

[但し書き]

#541/541 日本史ボード
★タイトル (FHJ55492)  94/ 5/26  20:50  ( 20)
古代史】RE:RES】海人 安曇族について    アコ(20行)
★内容
 パームさん、素早いRESありがとうございます。それにしても、地元に《そ
のものズバリ!》の伝承があったとは‥‥。(脚注1)

 それに、私は、信濃川〜犀川経由を想定してい1たのですが、安曇族は西からやっ
てきたのですから、より近い姫川を遡るほうが理にかなっていますね。

 それと、「神代文字碑」ですが、《安曇族以前の部族》ということは、和田峠
との関係なのでしょうかねえ。ようわからん‥‥。

 で、翡翠(ひすい)の話などを含め、史資料を探しに図書館へ行こうと思って
いたら、地元の図書館は今月一杯休館なのだそうです。しかたがないので、手元
の文献に当たってみることにしました。

 その結果(といっても、まだ調査中ですが)、面白いことがわかってきたので、
まとまりしだいアップロードしていきます。(「古代史】安曇》」を使用)

 それから、史料はそのつど明記しますが、参考文献は後程まとめて掲げるつも
りでいます。(脚注2)

                        FHJ55492  アコ


脚注1:パームさんによれば、私が    #536「古代史】海人は、なぜ内陸へ向かったのか?   アコ(73行)」    で書いたことと同様の伝承が地元には残っているとのこと。ここでは、    パームさんが1994年5月25日に書き込まれた    #537「古代史】RES】海人 安曇族について      パーム」    より、その伝承を引用しておく。    →(本文)

私の出身は南安曇郡穂高町で、穂高尊を主護神とする一族の本拠地です。 言い伝えによりますと、この安曇族は、糸魚川より姫川ぞいにヒスイを求めて川を 遡り、安曇の地に定住したといわれています。

脚注2:参考文献は、    古代史】安曇》出雲族と翡翠          アコ(99行)    にまとめた。    →(本文)

【校註】 1:MSG原文は「し」。誤記なので「い」に正す。


[目次]

2002.10.07 / 2002.10.11